千代田区立番町小学校同窓会

同期会情報

昭和22年度卒業同期会のご報告
2011.10.11
  平成22年12月の番町小学校創立記念日に、母校講堂で同期会を開催し、13名が出席しました。久しぶりの会合で話が弾んだ後、母校1階の資料室で、集団疎開時代の写真などを見、今となっては懐かしい当時の思い出を語り合いました。その後、再び講堂で他年次の方と一緒に校歌などを歌って、これもまた愉快な時間でした。
  私たちの学年は、第二次大戦開戦の翌年国民学校に入学し、3年生の秋から集団疎開、翌年4年生のとき終戦という時期にあたって居ます。一つの小学校にのみ在学し、卒業した人はほとんど例外的でしょう。私の場合は3年生の1年間と5年3学期から卒業までの番町在学でした。このあたりの話を始めたら、我々皆、長い話があると思います。
  特に、富士吉田町への集団疎開の時には、空腹をかかえつつ、薪を運び、溶岩だらけの土地に畑を作るための土を運び、食料の足しにする野草を摘んだことなど、共通の記憶でしょう。昭和20年の冬、澄み切った青空に真っ白な富士山がクッキリとそびえ立つ、その空をB29の編隊が爆音を響かせて飛んで行く姿は忘れられません(富士吉田町の町外れの寮の辺りに敵機が爆弾を落とす可能性はほとんどないので、退避もせずに眺めていたものです。また、後年、私が米国NY州ロングアイランドの研究所に駐在していたときに、NY市から1時間足らずのところにあるグラマンの大工場の脇を通りかかり、こんなところで、機銃掃射で嫌がらせをやりまくったグラマンが作られていたのかと、感慨深いものがありました)。
  今回、母校を訪れ、昔のH型校舎がI型になり、また新しく蓋付きのプールが出来て、かなり印象が変わりましたが、校舎の入り口付近など、なんとなく昔を思い出す感じがあります。資料室が出来て、長い番町の歴史が残されているのは有り難いことです。我々の在学期間、集団疎開の時期などは、歴史の長さの中でわずかな期間と思いますが、二度とこのような事が起きぬように願うばかりです。
  この度は、同窓会役員の方々に大変お世話になりました。思い出を懐かしむ機会をつくらせて頂き、感謝いたしております。

(22年度幹事 佐藤章一)

  
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